中年の星 ヘンリー・スタインウェイの挑戦2
更新日:9月25日
ピアノ・カルペディエムです。
前回は、ヘンリー・スタインウェイがドイツ国内でのピアノ製造を断念し、新天地アメリカへの移住を決意するところまでを解説しました。
今回は、彼がアメリカへの移住を決断した背景についてお話しします。
結論から言うと、ドイツ国内でピアノビジネスを続けることの難しさと、当時の新興国アメリカの魅力。その両方が、彼の決断の背景にありました。
当時のドイツは大小さまざまな国に分かれており、それぞれが独自の自治を行っていました。
彼が活動の拠点としていたのは、ブラウンシュヴァイク公国というドイツ北部に位置する小さな国でした。
しかし、当時のドイツ国内では、ナポレオン戦争後の混乱に加えて市民革命の嵐が吹き荒れており、その影響はピアノ製造の世界にも及んでいました。
さらに、彼の頭を悩ませていたのが、複雑な関税制度です。
商売をするうえで、関税、つまり税金は販売価格や製造コストに大きな影響を与えます。
どれだけ良い製品を作ったとしても、そこに高い関税が上乗せされれば、価格競争では不利になってしまいます。
特に、彼のような小規模な事業者にとって、高く複雑な関税は常に大きな悩みの種だったことでしょう。
こうした商売上の難しさに加えて、ヨーロッパ各国には職業ごとの組合制度も残っていました。
組合の古いしきたりや厳しい徒弟制度は、彼が自由な発想でピアノをつくるうえでも、大きな障害になっていたと思われます。
そんな厳しい状況の中で、何とかピアノ製造で成功を収めようと暗中模索していた彼のもとに、先にアメリカへ渡っていた息子から、新天地アメリカでの活動を勧める話が届きます。
慣れ親しんだ故郷を離れ、見知らぬ新天地へ渡る。
これは、決して簡単な決断ではなかったでしょう。
ましてや、人生の折り返し地点をとうに過ぎた年齢です。
それでも彼は悩み抜いた末、家族とともにアメリカへと旅立つことを決意します。
そして、この決断が、後に彼と家族に大きな成功をもたらすことになります。
では、なぜ彼はアメリカで成功することができたのか。
その理由と、アメリカでの新たな挑戦については、また次回お伝えします。





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